寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

秋だと思えば暑くない?

秋って気候がよくて過ごしやすいから何をやるにもいいっていうじゃないの。昨日のあの気候は秋なのだろうかというほどの天候。こいつを持っていって正解だ(笑)↓







悪い癖がでたのだろうか。昨日はとあるイベント(秋はイベント多いよね)に出向きキーボーディストと言えるほど・・・この際言ってしまおう。鍵盤楽器を演奏しました。ある方からの頼まれごとで、以前のいきさつから断れず「楽しんで」という氏の言葉に私も意欲的に乗り込んで行きました。それなのにあの扇子でそれを疑われました・・・。そういう厨二的なところが大人にはなりきれていないのだと自覚する。治せ? まぁ、私も音楽に関して多少それらしいつき合いがありちょくちょく活動してたりするんですが、プライベートにしておきたいので何かあってもここでは語らないことがほとんどです。プライベートだと言いながらそれを公的と言えるインターネットに公開してはプライベートになりませんからね。でも、昨日あんまりにも暑すぎたからちょっと語りたくなったり、たまに私的な行動(東方扇子)を露出狂のごとく紹介してみるのも一興と感じることがある。
しかしなんだろうか。いかに秋らしからぬ日中の暑さでも三夕の句*1を思い浮かべるように夕日を見ればそれは秋そのものであった。秋の夕暮れ黄昏って見ていると懐かしさと寂しさが交錯するんです。ガキの頃の無邪気な生活を思い出しては今の曖昧模糊な生活といってしまう自虐的思考にふと陥る。日本昔話のED「にんげんっていいな」は「夕日」という情景から「帰る」という動詞に結びつけたその歌詞が琴線に触れる。今日が終わるもの悲しさを、明日という希望を胸に一日の終わりを告げる夕日に誓うことで、そのもの悲しさを払拭するように健気に歌い上げるのだから。ガキの頃はなんだか明日がくるのが楽しみだった時期があった。だから夕日が綺麗だとそれが明日の希望に映ったりした。今は・・・夕日を見て寂しくなるのは・・・まぁ「ぼくもかえろ おうちへかえろ」。帰る家があるんだし、とりあえず帰って成り行きにまかせよう。
バイ バイ バイ

*1:和歌における「秋の夕暮れ」で終わる三つの有名な歌