寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

放火で決着をつけてしまう焦燥感

昨日北海道で自宅に放火した少年かいたそうな。家族全員殺そうと思ったと話すこの少年は自身の進路をめぐり親との対立していた。少年の夢は親の大学進学という意見押しのけ、一度は認めさせることができたらしいが、結局「内向的な性格は家族のせいだ」として自分の家族を犠牲にすることに自分の主張の正当性を見いだしてみる行動に出てしまった。最近聞かれなくなった家族間でのトラブル、その後の殺人と発展してしまう事件は大変やりきれない。先の震災で家族の絆を再認識したという話を聞くのに、まるでそんな周りの事情、空気などに染まっていない「何故?」な気分にさせるこんな事件を私は忘れかけていた。
この少年のいう「自分が内向的なのは家族のせい」。これは犯罪心理学では「外部形成的論理」「外罰的態度」と呼ばれるものであると考える。いわゆる犯行、非行などの原因は自分を自分以外のもの(環境、偶然、被害者、家族や社会、制度)に押し付けようとする論理や態度のことである。つまり、たとえば自分が万引きしたのはそこに置いてある本が店員から目の届かない場所にあり死角だらけでまるで「万引きして下さい」といってるような本の配置だったから自分が万引きしたいと考えてしまっただけで、もし店員がしっかり客の万引きをチェックしていたり万引きさせないように店が工夫していれば自分は万引きはせず、自分が万引きに走ったのは店がちゃんとしてなかったからだ、という自分の犯罪を合理化ないし正当化することである。このような合理化は、自分の行為に対して反省が乏しい人が思いつきの理屈をならべてるだけでたいして説得力を持たないように聞こえる。今回少年のこの犯行動機が家族のせいであるのかと言えばこの論理に沿ったものではないだろうか。少年の進路についての対立もそれ以上の体罰や精神的侮辱を家族からは受けていないと感じる。それがないのであれば放火をした動機が家族ではあまりにも唐突。
とはいえ、人間の心などとはそうそう単純にできていないことだってある。放火をすることで自我の防衛機能が働いたとあれば多彩な精神症状に陥っていた可能性がある。それとどうやら少年は自殺願望があったらしい。放火して家族を犠牲にしようとしたのは、自らの死を果たす代わりだという心理があったりもしたのでは。大体の原因は主観的であるがわかる。でもそれを言うと加害者の人権に拘わることなのでこんなブログで語るのは不相応だと。
ただ一つだけいうのであれば・・・私は子供の夢を親であろうとも、それを遮ろうとするのは大罪と考える。いかに家族といえども、それは一個人からしたら自分の気持ちを認めてくれず、不幸の道を進まされるようなものなのである。子供の夢を親が信じてあげられなくてよく親だといえるなと。そんな親に限って子供を世間に認めさせるための道具としていると考えてしまい、大変胸くそ悪い。
一度は説得できた少年の夢だったが、最初に親が反対したことが少年の心に心的ストレスを与えてしまったのだろう。親は親なりの未来の子供に対する心配故の愛情のつもりだったのかはわからないが、結局それが伏線になった今回の事件だろう。人の心は人が思っている以上に脆く壊れやすい。それがいつも顔を見て過ごす家族といえども、それがわからなかったりするとなれば・・・なんともやるせない。なんとかそんな心の内をわかってあげるすべはないのかと、この事件は私に問いかけているように思えた。