寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

昔は相撲好きだったんだよ

日馬富士が優勝しました。・・・正直言うとこのひっそりというような申し訳程度にというか、大変失礼な気がしますがそんな優勝だったんじゃないかと思います。まぁ、それと頑張って横綱負かしてもそれは局地戦だったのね、琴奨菊。「戦勝攻取してその功を修めざるは凶なり」。孫子の兵法火攻篇にて「敵を攻め破り、敵城を奪取しても、戦争目的を達成しなければ結果は失敗である」という意味を琴奨菊に照らし合わせてみた。つまり、横綱に勝っても初日負けたり後に隠岐の海に負けたりしちゃ大関になれないという手厳しさ。なんだか結局そ・う・い・う取りこぼしがぽつぽつ続く流れになってしまうのが日本人力士から新たに大関が誕生しない所以になってるのかと。三役で勝ち越しすれば安心しちゃうし(主観的にそう写るんです)、優勝を意識すると足下すくわれるし、今回のもなんかいつも見てきた光景かなとか結局。琴奨菊大関という意識はしないようにしてると新聞で見たからいい雰囲気だと思ったんですがねぇ。優勝した日馬富士は自分を貫ける芯の強さがあると思うんです。大関なのに立ち会い変化するのはフェアじゃないという声にも「勝てば俺得」みたいなそんな根性が日本人力士で勝ってしまうのはいいんだかわるいんだか。あとかいおうさんは大関陥落しても最多記録更新し続けると思った。でもここまで現役でいたのは最多記録を抜くためだったという極めて個人的な理由で相撲してたんだなと。別にいいけど。琴欧州は公務員みたいな大関ですねぇ・・・。たまーに優勝争いに加わってはくほうに負けてお終いとか別にいいけど。
今の相撲はつまんないです。別に賭博とかヤオとかどうでもいい。ことみつきが引退してドルジいなくなってもう相撲は興味なくなった。そういう風な興味のなくなりかたは寂しいです。そういえば、日本人横綱が誕生する頃には私は正真正銘のおっさんになってるかも。それまで健康でいられればですが・・・。
「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」
今思うと朝青龍がいた頃はなんだかんだで面白かったよ。横綱の品格なんて適度に守ってればいいのに、そうしない朝青龍にあきれ返ったりもしたが、それでも相撲は面白かったし、あのガキみたいな性格も憎めなかった(笑)。
朝青龍嫌い、だけど相撲は強いよなあ」そう言って貰えれば私は嬉しいです。
朝青龍がなんかのインタビューで答えたこの言葉は自分を嫌われ者と認める度量とファンの自分への認識を熟知しつつも、自分の崩し得ないスタイルをどうかファンにわかってもらいたい。そういう切なる願いが込められた大変屈託がない言葉だと思う。私はこの言葉を聞いてから朝青龍が好きになった。相撲人としての品格が大切なのは十分分かっているつもりでも、繁華街にて一般人をぶん殴ってしまうのも朝青龍だから「バーカ」と済ませられた訳だった。
田沼意次で例えるならば、あんなお騒がせドルジがいた濁った沼のほうが鯉みたいな私には昔は面白かったとノスタルジーになるのだから。でも、ドルジ追い出したそれから相撲協会は濁った沼から清流にはならず、もっと凄い水質になってしまいました。それがこの歌との違いでしょう。もういいか・・・。