寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

なでしこジャパンが勝てた理由

こういうこというのは私ぐらいだろうか・・・
女子ワールドカップの準々決勝。日本は格上ドイツを破るという快挙を達成したわけだが、NHKでは勝因をこう解析してた。
早いパス回しと体を張ったディフェンス
あながち間違ってはいない。しかしそれだけで勝てたとは私は思わない。それ以外にもドイツを破り得た何かがあると考える。それはNHKの映像でなでしこジャパンが皆揃って国歌斉唱のさいに胸に手をあてていたことに推測してもらいたい。そもそも国際試合において何故私たちは日本を応援するのか。「そんなの日本人なら応援するだろ」。日本の為に勝って欲しいからであり、それはまさしくナショナリズムである。
ここからは、にわかなサッカー通ではなくそれとは違ったことを言ってみる。
日本人では欧米人と比較すると身体能力やら技術の面で劣ってしまうスポーツがサッカーだと思う。いくら練習してその体力、技術に追いつこうにも基礎から違っていては。努力が無駄だとは言わないが陸上短距離走ではネグロイドが当然の如く一位をかっさらっていくのを例えれば日本人の努力ではどうしようもない人種的な身体能力の壁があることは致し方ないことなのである。だが、このような身体能力を超えるまではいかないにしろ同等のレベルに達して互角に戦える方法がある。それは常にナショナリズムを意識することだと思っている。日本のため国のため。そう背負うべくして戦うことはあまりにも大きく深い。単に自分のために戦うのであれば自分が負けたら後悔するだけですむが、国のために戦うとなればそれだけでは済まされない。どんなスポーツでもそう。私は国際試合、観衆は日本に勝って欲しいから応援しているので選手個人の勝利を応援している訳ではないと全体的に考えてるのだが。そんな国のためにという気持ちは選手は個人としてではなく、公的な立場となり、その決意があれば個人を越えた力が発揮されるのではないだろうか。なかには俗に言う「日の丸を背負って戦う」とは精神論であり情緒的な何の根拠もないだとか、日本の権威を世界中に示すために選手はいるのではないなどと。しかし、そういった情念は強ければ強いほど格上との能力差を埋めるものだと考えるし、日本代表となったからには日本のために戦って欲しいものなのだが・・・。
昔ラモスがこんなこと言っていた。
「日の丸がついたユニホームを着られるなんて夢のようだ。嬉しくて涙がこぼれたよ」
自分がワールドカップに出たいというだけならなにもユニホームに日の丸がついていてもここまで語らないだろう。この発言があれば個人の技量の範囲内でしか戦えないという訳ではなさそうだ。こんなラモスのような気持ちがあればこそ、それ以上の強い力を発揮できるはずだ。
なでしこジャパンが勝てた理由はそういった気持ちがあったから勝てた。単純にあの国歌のさいの胸に手をあてる場面を見たときそう思った。ちなみにスポーツにナショナリズムを持ち込むということに疑問を感じてもかまわないし、それは個人の考えで干渉するつもりは全くない。
私なんかの考えだと、ただそういう国やら何やら口に出したりはしなくても心の内に秘めておくだけでも競技の内容も変わってくるんじゃないのかなと思っているのですが。