寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

日本の競馬はグローバルスタンダードでありたい

10月になると思い出す 遙かなる凱旋門賞 遠い空(夏の思い出風に)
私は競馬が趣味ですが、それは競馬にロマンを求めるというか頭の中は現金です。それなのに海外競馬に関しては馬券なんか買えなくても十分に楽しめます。いうなれば「日本競馬=ギャンブル」「海外競馬=スポーツ」としての捉え方、人間の持っている二面性ですね。海外競馬で私が好きなところなんですが、英国の競馬は伝統、格式、優雅・・・競馬がその国の文化そのもので成熟された域にある。アメリカではスポーツとしての地位が高い、エンターティナー性がある。この点などが私が海外競馬を好きになる理由です。あと、どうでもいいことですが名前が格好いいから海外の競馬は好きだったんですね、中学高校のころから今も。キングジョージとかブリガディアジェラードとかカルロスペレグリーニ大賞とかバンガロール2000ギニーとか、意味分かりますか。
海外競馬という1300円もするバカ高い雑誌がありましたが、なんで廃刊になるんだコノヤロー。
今また、日本調教馬が凱旋門賞に出走することになるのは競馬をやってる奴の一つの楽しみです。何故か?私なんかは競馬を通して日本の競馬レベルを世界に見せつけるチャンスであり、それが出来れば日本の国威高揚になる、日本競馬の世界的な地位を確立できる。なにも変な思想ではなく、純粋なナショナリズムでしょう。ワールドカップだって何故日本を応援するか、私なら単純にこれで説明しますが。
それにしてもよく凱旋門賞に出走してくれたと陣営には感謝したいです。お山の大将競ってるようになると日本の競馬は魅力的でなくなる。吉沢譲治氏の著書「競馬の血統学サラブレッドの進化と限界」での世界の宝をもつ国の責任という項目では私の考えと物の見事に一致する。著書では、サンデーサイレンスといった種牡馬が日本競馬を世界レベルの域に押し上げたことにより、もはや日本の血統は世界的に見ても胸を張れる、海外に出ていってもいい勝負できる具合なのに日本競馬の海外志向の低さは、賞金の安さ、輸送費、滞在費の費用、遠征先での故障といったリスクこれらの理由だろう。しかし、「国内のレースに固執するかぎり、日本はいつまでたっても競馬後進国なのである(一部引用)」。いろいろ意見はあるだろうがこの答は私は支持したい。なにも海外なんか行かなくても国内のレースを使ったほうが金になるだろうという意見は最もだろう。しかし、前にも書いただろうか、それで「他者を納得させることはできても、他者を感動させることはない」。これは競馬ライター畠山直毅氏の文を引用させて使わせてもらったが、この言葉の通りではないだろうか。
いろいろいいたいことはあるんですが、肩がこるので。何も凱旋門賞ばかりでなく、フラワーボウル招待Sに出走するレッドディザイアのような選択肢があるのですから、海外の勝てそうなレースに出走して、たとえあまりなじみのないレースでもパート1国のG1である訳で、それに海外のG1を勝ったというステータスは日本競馬の歴史に重きをなすだろう。まことに理にかなった選択を陣営はしてきたなと感心した。
がんばれ!にっぽん!